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~本が新しい風を運んで来る~
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良かったら、どうぞ寄っていってちょうだいな。 草編みの日・・はじっこのおかみさんのいきさつ 翼のお庭という草地に、澄んだ地下水の湧く場所があります。そこは特に「薔薇の泉水」と呼ばれていて、周りに刻々と色変わりする古の薔薇が咲き群れており、とても美しいところです。水は2メートルほどの直径の丸い穴から静かに湧いていて、真ん中には真っ白な石の柱が立っています。彫刻を施された柱は、水面のすぐ下で、円錐形に終っており、水の中で倒れたり、また沈んだりすることもなく、いつもまっすぐに立って浮かんでいました。その湧き水の穴がどのくらいの深さかは、計り知れません。底を見つけた者はいなかったからです。 そんな不思議な湧き水に咲く薔薇が、朝現れて、春の夕映えの色を持つ蕾を膨らませた昼下がり、泉水の近く、はじっこのおかみさんのいる小屋を、賢者フィービーが訪れました。久しい訪問におかみさんは大変喜びました。 フィービーは、しばし、椅子にかけておかみさんとお茶を飲みました。 「それにしても、あなたがここへ来て随分経ったねえ。」 「ええ、十年経ちます。初めてお会いした日は、秋のはじめの頃でした。あそこの薔薇が、空の青と雲の白に染まって見事に咲き誇っていましたっけ。」 「草編みは、思い出したかな?」 おかみさんは、首を軽く振りました。 「憶えてるだろうか、立ち上がろうとして転んだね。」 「ええ、ええ、びっくりしました。」 おかみさんは、懐かしそうに笑いました。 「賢者さまがふるまってくださったお茶の香りも、火の暖かさもみんな憶えています。でも草編みのことは・・」 フィービーは銀色の口ひげの奥で唇を笑ませ、そうか、と優しく頷きました。 それは、十年前のよく晴れた朝のことでした。森の賢者フィービーは薬草を摘みに草原へ出てきて、「薔薇の泉水」を通りました。薔薇の中に埋もれるように、一人の女性が座っているのを見て、フィービーは声をかけました。 女性は気分よくあいさつをしました。二言、三言言葉を交わした後、フィービーは草木を求めて薔薇の泉水を後にしました。 夕日に草があかく染まる頃、フィービーは草の入った袋を背負って再び、薔薇の泉水へ戻ってきました。 すると、そこには朝出会った女性が同じところに、同じように座り込んでいたので、賢者はもう一度、声をかけました。それがおかみさんでした。 「さあ、もう日が暮れますよ。野宿するおつもりなら、宿へ参られることをお勧めしましょう。」 「いえ、大丈夫ですので。しばらく星をみたいのです。それに、この薔薇、見てると色が変わっていくんです。」 「そう、空気に染まりますからね。−あなたはどちらからいらした?」 「さあ・・、夢、の向こう側?かしら・・。」 「お名前は?」 「それが・・よくわからなくて・・。」 「ご家族の方が心配しておられるでしょう。」 「それは、ええ、そうだと思います。」 フィービーは袋を背中から降ろし、草の上に腰をおろしました。 「わたしは向こうの森に住む者です。通りすがりの年寄りですが、あなたの昨日と今日を少しだけ伺ってもよろしいかな。」 「ええ・・、でも、何だかいろんなことがよく思い出せなくて・・昨日は・・多分家にいて、今日は目が覚めたらここにいて、訳が分らないの。−ここは、夢の中でしょ?」 「夢の向こう側から夢の中の地へ参られたと?ーいいえ、あなたは雲霧の小道を通って迷子になったのだ。ここは、サキソスの地、夢の中ではありません。」 「迷子?」 おかみさんはぽかんとして、黙ってしまいました。 「ここは、迷子の駅のようなところです。しばしば、そういった人びとに出会います。深い轍にはまった車輪のように自然とここへ運ばれるのです。なかには、朝見かけても、日暮には、帰途について、二度は見ない方もおられる。しかし、大抵は私たちが行くまでここに座ったままです。動けませんでな。さあ、足を自由にして差し上げよう。」 フィービーが、おかみさんの足元に手を伸ばすと、おかみさんは驚いて立ち上がりました。けれど、途端によろめいてどたんと、地面にしりもちをついてしまいました。 「まあ、何これ」 おかみさんは、自分の足を何十にも絡めとっている草の縄に叫びました。すると、フィービーは言いました。 「それは、あなたが自分で結んだのですよ。」 「えっ?」 全く見に憶えのないことにおかみさんは、目を白黒させました。 「固くて、とれないわ。」 「迷子の皆さんはここで、必ず、草編みをするのです。こんな風に、器用に草を編んで、自分の足に巻きつけるのです。心のしがらみがそうさせるのです。」 「ほんとにわたしがやったの?知らないうちに?」 賢者は微笑みました。 「それは、思い出せないだけ。思い出せたら、帰り道もわかります。さて、いよいよ夜気がおりてきた。−あそこに白樺の樹が一群れ見えるでしょう。そのすぐ先に、小さな小屋があります。暖かく休めます。案内しましょう。」 フィービーはおかみさんの足の草を人差し指だけで簡単に解き、ぼんやり考え込んでいるおかみさんを連れて、小さな丸木小屋へやってきました。中に入ると、フィービーは火を起こして、摘んできた草花一束を丁寧にたたいたり、揉んだりして、鍋のお湯に放ちました。たちまち、さくらんぼのジャムのような甘い香りが小屋の中に漂いました。 「そんな隅の方に立ってないで、こちらへおいで。火は心を和らげてくれるよ。」 疲れきっていたおかみさんは少し傾いた木の椅子にもたれました。 「お飲みなさい。このお茶は疲れを身体の外へと掃きだしてくる。」 おかみさんが、恐縮しながら、お茶を飲むのを眺めて、フィービーは言いました。 「今夜はここでお休みなさい。この小屋は、白樺衆が守る故、安心なさい。明日の昼頃までゆっくり眠るのがよいでしょう。 そうしたら、迎えに来ます。森の中に、老人と孫の二人で営んでいる宿があります。あなたのような迷子や旅人がいつも絶えない宿でね、小さいがにぎやかないいところですよ。そこへ案内しましょう。」 すると、おかみさんは急に目から大粒の涙を流しました。 「どうか、わたしをこの小屋へ置いてください。」 そう言うと、おかみさんはうつむきました。 「ここは森のはずれです。サキソスの森へ入った方が、精霊たちの加護が多い。」 「ここがいいんです。お願いします。どうか、帰る日までこの森のはじっこにいさせてください。」 賢者はしばし考えていましたが、やがて言いました。 「この小屋は、わたしが遠方に出かけた折、休むために使います。薬草を持ち込んだりもするので、少々、薬臭いと思いますが、好きなだけいらっしゃい。」 「ありがとうございます。感謝します。あの・・お名前は、何とおっしゃいますか?」 「フィービーと皆、呼んでいます。」 「フィービー?あの、それは、もしかして女神の名前ですか?」 「昔、あなたと同じ迷子殿がそう叫んだのが始まりです。見間違えだよ。あなたは、何とお呼びしようか。」 「わたし、自分の名前が分らなくなってしまいました。だから、はじっこのおかみ、とでも呼んでください。はじっこが好きなので・・。」 フィービーはにっこり笑いました。 「では、はじっこのおかみさん、もう、お休みなさい。それから、あなたには辛い出会いの仕方になってしまったろうが、ようこそ、翡翠色の森へ。いつでも、森へおいでなさいよ、歓迎します。」 おかみさんもにこりと微笑みました。フィービーは頷くと、青いマントをはおり、小屋を出て行きました。 はじっこのおかみさんはこうして、森のはずれの小屋に住むようになりました。おかみさんは、しばらくの間、小屋の中だけで過ごしていましたが、風の乙女や木霊たちや野良猫たちと出会うようになってから、次第に外へ出るようになりました。 小屋からは迷子が現れる薔薇の泉水が近いので、いつしか迷子や旅人たちを見かけては声をかけるようになっていました。 フィービーも時々、小屋を訪ねて、おかみさんの心を温かくしてくれました。 おかみさんは出会いの日のことを思い出しながら、その時と何も変わらない賢者の目を見つめました。 フィービーはにっこり笑いました。 「さて、そろそろ行くとしよう。どうやら迷子が出たようだ。さっそく草を編んでいるようだな。」 賢者は席を立つと、青いマントをはおりました。 「もうじき、ケーキが焼けますから、おなかが空いていらしたら、お誘いしてくださいね。」 「ありがとう。」 「いってらっしゃいまし。」 小屋を出ると、フィービーはおかみさんに言いました。 「それにしても、おかみさん、わたしはあなた以上にすごい草編みをする人にまだ、会ったことがないよ。」 おかみさんは赤くなりました。 「まあ、それほどこんがらがった無茶苦茶な編み方をしてたんですね。お恥ずかしい。」 「確かに、無茶苦茶なさったな。だが、あなたほどすぐに解けたひともいない。まるで空気のようにほどけたからね。」 「本当に?賢者さまのお力ではないでしょうか。」 「おかみさん、わたしはあなたを見て、一瞬、目を疑ったよ。迷子と思った人はふるさとに帰還した戦士のようであった。何故、わたしがあなたを迷子として森で感知したのか、かえって不思議だったよ。あなたにはこの地の香りがある。」 「わたしは、自分のことを忘れたただの迷子です。」 「どのように自らを思って生きてこられたか、あなたの哀しさが見える事がある。しかしね、おかみさん、自分を疎んではいけない。今日、つくづくおかみさんを眺めていて思ったよ。いいかね、持っている輝きを大切になさい。必ず、あなたは帰り道を見つけられるから。」 おかみさんは、うっすらと涙を滲ませて微笑みました。フィービーは軽く頷いてみせ、薔薇の泉水へと歩き出しましたが、ふと、戸口で見送っているおかみさんを振り返りました。賢者は言いました。 「ーあなたは、まるで、緑の画人の絵のようだよ。」 おかみさんは、森のはずれ、白樺衆の守るフィービーの小屋にいます。そこは、神秘的な湧き水のほど近いところで、迷子がよくやってくるところです。だから小屋は灯りを絶やしたことはなく、おかみさんは今日も、あたたかいお茶を用意しています。おいしいお菓子やパンもね。 ー今はカップもお皿も十分な数揃っていますよ。 あなたが悲しみに沈んでいる時、 あなたが道に迷って立ちつくしている時、 不安と心配で胸が潰れるような痛みに耐えている時、 わたしたちは、囁いています。 それぞれの命があなたの傍で。 「花はあなたを祝福します。 ー優しさはわたしたちとの絆です。」 「樹はあなたを祝福します。 ー思慮はわたしたちとの絆です。」 「水はあなたを祝福します。 ー育みはわたしたちとの絆です。」 「大地はあなたを祝福します。 ー寛容はわたしたちとの絆。」 「全ての星光はあなたを祝福します。 ー愛はわたしたちとの絆です。」 まだまだたくさんの祝福があります。 どんな時も、あなたの行くところに。 わたしたちの声に耳を澄ませてみて ーあなたの優しさを知っています。 大丈夫、きっとあなたは大丈夫ー。 |
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